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「仕事をしていて、暇だと思ったら、次の3つを考えなさい」

「汚れてないか?」
「乱れてないか?」
「足りなくないか?」

例えば、レジ担当なら「レジカウンターは汚れてないか?」、「レジ備品は乱れていないか?」、「つり銭は足りなくないか?」、「包装紙は足りなくないか?」、「買い物袋は足りなくないか?」、「プレミアムは足りなくないか?」と言う具合です。

この3つのフレーズを使って自分の周りを見渡せば、カンタンに、しかも、いくらでも仕事は見つかります。

proto-jp:

今まで見たリアル竜巻旋風脚で一番すごいなw  (via 思わず保存した最強の画像スレ『ビビアンスーの家族美人過ぎ』:哲学ニュースnwk)
「お母さんはうちで一番先に起きる人」になると子供が起きる時間、朝ご飯の時間、おやつの時間、昼寝の時間、夕ご飯の時間、お風呂に入る時間などが自然に正確に決まってくるものです。
そうしてこのハンで押したような規則正しい生活を、日曜日であろうが、祝日であろうが、お客さんが来ようが、頑として崩さないことが、子供を心身ともに健康に育てるコツなのです。子供の健康を願うならこのことを守りましょう。
自分も遊びたい、子供も健康でいてほしい。これは欲ばりというものです。二兎を追うものは一兎をも得ずです。また別の見方をすれば、先に苦労するか、後で大苦労するかです。
   
特に子供が三歳にならないうちはこのことが大切です
たとえば三歳未満の子供を連れて海水浴に行ったり、動物園へ行ったり、あるいは温泉へ泊りがけで行ったりするのは、子供にとって害にはなっても、なんのプラスにもなりません。
たしかに子供はその時は喜ぶし、楽しそうにはしゃぎまわります。しかしそれはそれでしかなく、実際には健康の上からも、躾の点でも、情操教育効果の面でも、まったく無益で、結果的にその子供が心身共に疲労するだけなのです。
   
親のほうにしてみれば、現実に子供は喜ぶし、子供にこれだけのことをしてやったという満足感を覚えます。この満足感を持つことはいいことだし、また必要なことでもあるのです。しかし子供が三歳を過ぎないうちは残念ながら無駄なことなのです。
   

「心 身共に」のうち、まず心のほうについて述べましょう。そういう所へ三歳にならない子供を連れて行っても、親子の絆を特別に強めるという効果はありません。 言い換えれば、そんなことに頼らなくても親子の絆はでき上がっていくということです。知能の面についても、三歳にならないうちは言葉と時間をしっかりとは 覚えていないので、海水浴や動物園や温泉に行ったことが記憶として残って、その後の知能の発達の役に立つということはほとんど期待できません。
次に心身の「身」のほうですが、これはふだんの生活と違うことをしたことによって、そのこの子の日常生活のリズム(体内時計のリズム)が崩れ、極度に疲労するのです。その結果、ふだんなら寄せつけない病原体でも身体の中に入ることを許してしまう、つまり病気になる可能性が高くなります
   
三歳未満の子供にとっては海水浴や動物園や温泉に連れて行ってもらうよりは、お父さん、お母さんと一日中、いつもやっている積み木だの絵本だので遊んでもらうことのほうが、ずっとありがたいのです。
子供を連れて遠くへ行ったり泊ったりするのは、子供が三歳を過ぎてからにしましょう。
海の水が塩からいのも、虎とライオンが違うのも、三歳を過ぎてから教えて十分間に合うし、そのほうが効果があるのです。

ドサンコの東京子育て&旅日記: 「母親は朝寝坊するな」の一喝に思うこと (via irregular-expression) (via mnak) (via petapeta)

どうせ使わない知識だろうけど。結婚したいなぁ…子供欲しいなぁ…無理だなぁ。

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試験の結果を賢いねと褒めた場合と、よく努力したねと褒めた場合、前者は次により難しいテストに挑むのに抵抗を示し、後者は意欲的に取り組む傾向があるというテスト結果がある。子どもの頃から絶対に負けられない戦いを覚えてしまうと、勝てる試合しかしなくなり、結果勝負弱い人間ができあがる。

事実のみを伝えて、真実を相手に誤認させるっていうアレですね。

——あのお話、もう少しわかりやすく、ご教示ください。

グーはチョキより強い。
パーはグーよりも強い。

——事実です。嘘はついていません。

この状況でしたら、じゃんけんを知らない相手は、何を出そうとするでしょうか?

——そりゃ、当然、最強のパーを出しますよ。

こちらは?つまり、あなたは?

——チョキです。

おっと忘れていた、実は、チョキはパーより、強いんだって。

——きったねぇー(笑)。でも、嘘、ついてなーい(笑)。ずるいなー(笑)。

おっと、忘れていた(笑)。
このゲームはこういうルールになっていた、というやり方です。実社会でも結構こういうケースは多いのではないのでしょうか。
こんなやり方もあります。
たとえば、賭博場に行って、ルーレットで遊びたいんだけど、よく知らないし、絶対に損はしたくないという奴がいたとします。そうした奴に、ディーラーがこうアドバイスします。チップが百枚あるなら、赤と黒に五十枚ずつ賭ければいいんだ、とね。

——おー、ルーレットは赤と黒。半々ならどちらかが当たりますもんね。

しかし、00に入って、ディーラーに総取りされた。おっと、忘れていた。0と00は親が総取りなんですよって。

——ルールに反してない。嘘をついてませんもん。

嘘はついていないが、汚いやり方です。世の中にはこういうことがよくあります。

(中略)

「竹やー、竿だけ−、二本で八百円、三十年前の値段」。それで、二本、買うでしょ。でも二万円なんです。

——えっ、何で?

三十年前の値段を言っていただけ。

——あっ、いまの値段、言っているわけではないんだ。単に三十年前の値段を言っていただけなんだ。お客さんには嘘をついていない。

そう。三十年前の値段という事実を言っている。ところが、買いに行った人、呼び止めた人は、そこを切り出せない。

(中略)

完全情報がないという形をとって、事実のみ伝えられて、真実を誤認させられて、うまくしてやられてしまっているというようなことは、我々の社会生活の中に、とても多いわけです。

スピーカーつけて徘徊してる業者

● 物干し竿 2本で1000円
   →これは使えないなどと脅し、支柱からなんから新品交換で数十万円請求される

● 不要になりましたテレビ、洗濯機、ラジオなどありましたら無料で引き取ります
   →これは処分費がかかるので~ と金銭を要求されたり、後日になって修理してきたといって修理代を請求される

● 古新聞、古雑誌、衣類のボロ、ありましたら車までお持ちください
   →正確に計ったわけでもなく、この重量だと有料になるなどと言い出し、金を要求される

● いしや~きいも~ おいも~
   →麻薬のようにやめられないおいしさに人生を狂わされる


こんなの人生の基本だぞ
do-nothing:

年齢階層別の収入や負債の推移をグラフ化してみる(2011年分データ反映版):Garbagenews.com

しかし、今はもう、本当に結婚産業に躍らされて、錯覚ばっかりです。そして、結婚式の時もね、「良い旦那さんになって下さい。良い奥さんになって下さい」ってよく言いますよね。私は結婚式のスピーチを頼まれたら、よく言うんです。「そんなもんになる必要はない。良い旦那、良い奥さんになろうとすると無理がいく。それより、良い人間同士でいるようにして下さい」そうしたら旨くいきます。これが基本なんですね。職場でも、良い上司であろう、良い同僚であろう、良い部下であろうとするよりも、そんな肩書きとかね、記号はどうでもよくって、「良い人間同士で一緒に働きましょう」ってしてると、旨く行くんです。

ですから、良い母親であろう、良い父親であろうとすると、背伸びをすることになる。ところが、「良い人間同士で、この家で一緒に生活していきましょうね」ってすると、旨く行くんですよね。ですから、夫とか妻とか舅とか姑とかは記号に過ぎないから、それに囚われないことです。そんな言葉は辞めちまったほうがいいんです。そんな言葉にとにかく囚われるから、あの橋田寿賀子さんの馬鹿なホームドラマみたいに、「嫁姑だ。鬼嫁だ」と言われるんです。人間単位にすれば、記号に振り回されません。そうすると、みな旨く行きます。だって、「夫」という言葉だってね、場合によって変わるんですよ。子供の前では「父親」なんですよ。お母さんの前では「息子」ですよ。妻の前では「夫」です。電車の中では「痴漢」になるんですよ(会場笑い)。そうです。一人の人間ということは変わらないんですよ。何処でも変わらない。人間単位でものを見るようにする。

(via jinon)